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ものの見方が変わるということ [学生生活(社交)]

今日は人類学部所属の日本人修士学生の集まりがあった。修士学生は僕を含めて5名いるのだが、それに中国人学生と日本からの客員研究員を含めて7名で夜中までしゃべっていた。

みんなそれぞれ異なるバックグラウンドを持っている。イスラム研究をやっていた人、言語学をやっていた人、開発関係のことをやっていた人、日本語教師をやっていた人。一年前にはお互い共通項なんて何も無かった人達なのだが、一年経ち、ここで人類学の教育を受けることによって極めて似たようなものの見方になっているのがすごく興味深い。議論をしていても 「同じ教育を受け、同じフォーマットを受けた仲間なんだ」 と感じることがすごく多かった。すべてを相対化させ、すべてを文化的構築物と見なす考え方に自然と染まっている。

たった一年で人の持つパースペクティブを変えてしまうというのは凄いことだ。教育の力というのは偉大だ。ここの修士課程というのはそれぐらいインテンシィブだし中身が濃いということなのだろう。

試験のために憶えた細かい知識というのは時間とともに忘れ去られるだろう。でもここで得たものの見方はその人の一部として永遠に残る。いろいろ大変な一年だったけれども、ここで得たものの見方は皆にとって一生の財産になるだろう。そして、イギリスの地で、同じ時間を共有し、同じものの見方を身につけた日本人がこんなにいたということは僕にとって予期しなかったことであり、とても嬉しいことである。


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コメント 4

gutta

「教育の力というのは偉大だ。」・・・学生の素材を生かすも殺すも教育次第、というといいすぎかもしれませんが、教育に携わる者としては身を引き締められる一文です。しょちょうさんの記事の意味とはちょっと違いますが。
by gutta (2005-08-08 11:08) 

しょちょう

ぐったさん
正確に言いますと、学生側の意識や能力と教える側のそれとがかみ合ったときに教育は最大の効果を発揮するのだと思います。どちらが欠けてもうまく行きません。僕の教育に携わることになるので、真剣に考えてみないといけません。
by しょちょう (2005-08-08 19:43) 

お邪魔します。
良い感じですね。
私にもいくつかそのようなレファレンスが可能な研究者仲間、専門家仲間が居てくれるので、深いところで「美的判断」(笑)が出来るように思われます。教育の力、たしかにそうですが、濃い体験の「場」の共有、つまりはリアリティ(バーガー&ルックマン)の共有といったところも大きいと思います。
by (2005-08-10 14:47) 

しょちょう

yutakamiさん
濃い体験の場の共有ですか、非常に的を射た言葉ですね。僕が通信教育や遠隔教育に関して決定的に欠けていると思うのはこういう場なんですね。チュートリアルのような教師と学生間の直接の対話から得られるものはとてつもなく大きいですし、学生同士の他愛も無い会話の中からでも常に知的刺激を受けます。こういう目に見えない教育効果というのは結構馬鹿にできませんよね。
by しょちょう (2005-08-11 01:32) 

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