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読書について [作品評論]

一般的に読書というものは絶対的に有意義なものと思われているし、僕も長くそう思っていた。「子供を本好きにしよう」というスローガンが教育現場に溢れている。そんな常識を覆すのがこの本

読書について 他二篇

読書について 他二篇

  • 作者: ショウペンハウエル
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1983/01
  • メディア: 文庫

「読書とは他人にものを考えてもらう行為である。一日を多読に費やす勤勉な人は次第に自分でものを考える力を失っていく。多読は愚者を作る。人の精神は他人の精神による圧迫を受けるとその弾力性を失う。」

確かにその通りかもしれない。本を読んでいる最中、人は思索をしない。他人が思索した内容を指でなぞっているに過ぎない。自分自身で考え、咀嚼し、消化吸収した内容のみが真に自分のものとなる。単なる「物知り」と「教養人」との違いはこういうプロセスを経ているかどうかの違いなのかもしれない。

しかしショーペンハウエルは続けている(彼はドイツ人にしてはかなりの皮肉屋のようである)

「悪書を読まなすぎるということはなく、良書を読みすぎるということもない。悪書は夏のハエのように無数に存在し、良書はヨーロッパにおいて一世紀に一ダース生み出されるかどうかである。」

「一般読者の愚かさはまったく話にならぬほどである。あらゆる時代、あらゆる国にそれぞれ比類なき高貴な天才がいる。ところがこの一般読者は、この天才のものをさしおいて、毎年ハエのように無数に増えてくる駄書を読もうとする。」

確かに、岩波文庫の売り上げは、わが国におけるエロ本の売り上げの数千分の一、いや数万分の一に過ぎないだろう。かく言う僕も、今までの人生において後者のほうによりお世話になったことを喜んで認める。

では良書とは具体的にどういう本なのか?ショーペンハウエルは答える

「良書とは史上に残る稀有の天才の作品のことである。天才の作品を読んでも、一つとしてその才能を自分のものにはできない。だがそのような才能を「可能性」として所有している場合には、読書によってそれを呼び覚まし、このような才能を使用したいという気持ちをおこさせる。あるいはその才能の正しい使用法を習得することができる。このような書は心ある人たちに何世紀も読み継がれる。」

なるほど

さらにショーペンハウエルは言う

「読書の技術とは、いかに悪書を読まないかということに尽きる。」

いかにエロ本や、動物占いの本や、ゴーストライターの書いた芸能人の本を読まずに、「学問のす々め」や「本居宣長全集」を読むかということが読書において重要だということのようである。ほとんど実現不可能なことを言っているように思うのは僕だけだろうか?

ただ、唯一の救いはこの「読書について」という150ページ足らずの本もまた、その出版から一世紀半も生きながらえている「良書」であるという点である。とりあえず、この他人に厳しい偉大な思想家ショーペンハウエルの意に反さないように、コンビニの書棚に伸びていきそうになる手を押さえる自分であった。

 


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コメント 10

ガワ氏

私も後者によりお世話になってきたタイプです。未だにテスコの本棚を通る時、SUNやらSTARやらに目が行ってはイカンイカンと思っているしだいです。
by ガワ氏 (2006-03-17 08:37) 

しょちょう

ガワ氏さん
それにしても、日本の新聞(スポーツ新聞は除く)はだいたいどれも似たようなレベルですが、イギリスの新聞ってどうしてあんなに差が激しいんでしょうね?これも階級社会の顕れでしょうかね。
by しょちょう (2006-03-18 13:01) 

ちくりん

良書を読むことの重要性とともに、手にした本が良書であるか、それとも愚にもつかない悪書であるかを見抜く能力というのも必要になるよね。これほど情報の氾濫した今日においては特に。
でも、その能力を鍛え上げるにはそれなりの知識と経験が必要かも・・・
by ちくりん (2006-03-19 16:28) 

しょちょう

ちくりん
まったくその通りだね。愚書を愚書と判断するためには良書に触れている必要があるよね。逆に愚書しか読んでいないと、それが愚書であることに気づかなくなってしまう・・・・・恐ろしいことです。
by しょちょう (2006-03-20 00:27) 

どらとら

「哲学書」や「数学書」の場合。
他人の思考回路理解に腐心し、ひたすら自分の創作的思考回路を停止せざるを得ないという点において、これらの本は悪書のように感じられるます。が、心を砕いて読み進めて行く内、多くの場合、自分には「過去の集大成をなぞる」事のみが可能で、「実際に哲学や数学をする」という行為が不可能であることを悟らせ、従って他の道に才能の活路を見いだす事が肝要である、という事を知らしめる意味において、これらの本は、正しい才能の使い方の方向性を啓示する事ができ、良書と言えるのであります。
by どらとら (2006-03-21 04:12) 

しょちょう

どらさんは、やはり目標設定が高いですね。笑
僕のような志の低い者は、哲学者のようになりたい→なれない→落胆→他の道を模索、といった経路をたどることはあまりなく、
さしあたり必要な哲学の知識が欲しい→ほんの少しだけ得る→嬉しげに使ってみる→とりあえず満足する、といった流れになりやすいんです。凡人が良書を読む意義ってそんな程度のものなのかもしれません。
by しょちょう (2006-03-21 16:21) 

ガクト

天才の書と言ったら、親鸞聖人の書かれた『教行信証』ですね。しかし、これは、我々が読んですぐにわかる書ではない。そこで、オススメなのが『なぜ生きる』という一万年堂出版から出てる本です。とにかく、すごい本なので紹介せずにはおれません。
by ガクト (2006-03-23 23:34) 

しょちょう

ガクトさん
興味深そうな本を紹介いただきありがとうございます。日本にもそのような大天才の書いた本がありますよね。一生のうち一度はそういう本を読んでおきたいものです。人生目標ですね。
by しょちょう (2006-03-23 23:39) 

三平太

ははははは。おもしろい記事でした。たまにショーペンのような、こういうスケールの大きな正論を聞くとほっとしますね。
by 三平太 (2006-03-26 00:33) 

しょちょう

三平太君
そうですか、やはり正論だと思いますか。僕にとっては戒めの言葉の連続ですよ、この本は。
by しょちょう (2006-03-26 22:08) 

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